【参加経緯】
昨年12月の防府で念願の2時間50分切りを達成し、今年も更なる記録更新を目指してゴールデンウィークから練習を開始していた矢先、12月の福岡国際で今回は「Bクラス」が新設され、2時50分以内のランナーに出場資格が与えられるという情報が入った。福岡国際といえば本来2時間27分以内のランナーだけに参加が許される国内最高峰のレースである。たとえ「Bクラス」という位置づけでも、同じ日の同じ時刻に同じコースを走ることができるというのは何と魅力的なのだろう。後日発表された関門制限を見ると、自分の持ちタイムで何とか完走することはできそうだったので、思い切って応募することにした。ただし、仮に定員オーバーで選考に漏れた場合や、当日あまりに悪天候の場合は防府に転戦することにして、念のため2週間後の防府も申し込んでおいた。幸い500名の定員には達しなかったようで、10月末に正式参加通知が届いた。
【練習経過】
練習は例年どおりゴールデンウィークから本格始動。昨年導入した「期分け」の考え方をさらに推し進め、夏場にかけては毎週末の吉野LSD(約40キロ)を中心に心拍数を抑えた走り込みに徹して、基礎的な持久力の養成に専念した。その一環として6月末のサロマ湖100キロに初めて参加したが、90キロ手前で脚が攣ってしまい、目標の9時間切りを逃したばかりか、その後の回復に予想以上の時間を要する結果となってしまった。その影響で出足は遅れたが、7月、8月の月間走行距離はそれぞれ404キロ、510キロと、昨年を若干上回った。
その後、9月は持続走、10月はスピード練習、11月はレースペース走の月間と位置づけた。とりわけ30キロ程度のペース走練習の不足を実感した昨年の反省から、9月に1回(キロ4分半程度)、11月に1回(キロ4分)の30キロ走を実施した。前者については自宅近くの周回コース(1周2キロ)を15周するという単調さとの戦いとなったが、後者についてはフルマラソンの大会に参加して途中の30キロまでを利用することにした。昨年はその目的で11月の東京国際女子(併設)に参加したものの、当日の季節外れの猛暑のため、30キロレースペース走の設定を最初から断念した経緯がある。今年の東京は女子のみとなったため、福岡の約1か月前で、フラットな公認コースで、1キロごとの表示があるという条件で探した渡良瀬遊水地マラソンに遠征して、当初の狙いどおり30キロを1時間59分台で走ることができた。
相前後するが、10月にはスピード練習を兼ねて敦賀マラソン10キロの部に初参加した。最後までほぼ同じペースで走り切ることはできたものの、心肺の弱さが文字通り脚を引っ張り、記録的には低調に終わったので、後日坂道トレーニング(約1.3キロ×2本)を行い、心肺を限界まで追い込んだ。
渡良瀬の後はポイント練習の強度を次第に落としていったが、渡良瀬の1週間後のポイント練習では、当初レースペース走20キロの予定がさっぱりスピードが上がらず、おまけに途中から右ふくらはぎに違和感を覚えたので、12キロで切り上げてしまった。フル完走の1週間後ということと、故障防止ゆえの止むを得ない妥協ではあったが、本命レースを目前にして、心身ともにやや不安を残すこととなった。
本番直前は例年同様、金哲彦先生のメニューに従い、3週前の休養の後、直前2週間の調整練習で、体幹部の疲れは貯めないようにしつつ、脚そのものはやや重く感じられる状態に仕上げた。レース3日前の90分ジョグはかつてないスローペースで走ったが、脚の筋肉の疲れをほとんど感じないまま、長い時間体を動かし続ける練習ができた。過去あまりなかった感覚であり、こういうのを本当のLSDというのかもしれない。もっと早い段階で気づいていればと、少し悔しい思いをした。
【装備、体調管理など】
レース用シューズは、これまでずっとターサーひと筋で来ていたが、今回の福岡出場を機に、初めてソーティマジックを投入した。旧モデルのバーゲン品で比較的安く入手できたが、購入時そのあまりの軽さに驚き、これで本当に脚が持つのか一瞬迷ったものである。靴底も大変薄く、フル1回で磨り減ってしまうという説もあるが、さすがにぶっつけ本番ではダメなので、敦賀10キロと渡良瀬で試運転を行った。
装備面では他にさほど変化はない。というより、もともと何とかテープとか何たらリングといった類には全く関心がなく、身につけるものと言えばランシャツ、ランパン、手袋、五本指ソックスとシューズ、それに時計だけなのである。細かく言えば、一昨年の防府の終盤で、ラップ計測のため左腕にはめた時計を右手で操作しようと体を僅かに捻った際、右のふくらはぎに痙攣が走ってからというもの、レース中は時計は腕にはめず、左手に持って左手だけで操作するようにしている。それから、足のマメ防止とランパンの股ズレ予防のため、従来はワセリンを塗っていたのを今回はディクトンにしたが、さしたる変化は感じられなかった。失敗がひとつあって、当日朝も時間の余裕が相当あったのに、乳ズレ予防のバンドエイドを貼るのを忘れてしまった。これに気づいたのは実は20キロ弱も走ってからで、当日はそれなりに緊張していたのだなと思う。
体調管理面では、秋口から11月末にかけて、前年を上回る約5キロの減量に成功した。これは8月末に自ら課した「21時以降禁酒」が功を奏したものと思う。最初はなかなか体重が減らず、ずいぶんストレスがたまったが、そこで全面禁酒にしなかったのが結果的には正解だったと思いたい。食事面では、レース直前を除き、炭水化物を極力減らして、野菜、魚、赤身の肉を中心としたローカーボ食とし、特に夕食は寝る前に軽い空腹感を覚えるぐらいの適量を心がけた。また、直前になってしまったが、「小出道場」のサイトで鉄分対策の重要性を再認識してから、あまり好きではないレバーや牡蠣も進んで食べるようにした。さらに、今年は痙攣対策として、毎日必ずバナナを1本食べてカリウムの摂取に努めた。前年は高カロリーを嫌って食べなかったのだが、今年はそれでも減量できたのは幸いだった。当日、ガス欠も痙攣も起こさず、無事に走り終えられたのは、これら食べ物たちのお蔭でもある。感謝しなければなるまい。
【当日、レースまで】
レース当日の朝は6時起床。昨日からの大雨は未明には上がったが、予報どおり相当強い西風が吹いている。気温は10度前後か。朝食は少し値段は張るが、内容を自由に選べるホテルの和食バイキングにした。その後はスタート2時間前の10時をメドにおにぎり2個で最後の補給を行なう。このクラスの大会ともなれば受付は前日に終わっていて、最終コールはスタートのわずか10分前ということなので、時間的には相当余裕がある。部屋でストレッチをしてから、散歩と軽いジョグのため駅前通りに出かけた。ここはレースの23〜24キロ地点に当たり、前日のコース下見のとき、方角的にみて西風がまともに吹きつけることが予想され、レースの大きなポイントになると踏んでいた箇所である。実際に走ってみると、高いビルにある程度風が遮られるようで、大きな交差点を除いてそれほど心配ないようだ。ホテルをチェックアウトして地下鉄に乗り、11時頃に平和台入り。元野球場のあったところに更衣用の大きなテントが3つほど張ってある。スペースは十分にあり、中にはストーブが焚かれ、毛布も貸与されるなど待遇は非常に良い。周囲を見ると、さすがに皆いかにも速そうな(いや、実際速いのだが)ランナーばかりである。皆それぞれに真剣な表情で、普通の大会のように集団で談笑しているといった光景はあまり見られない。ウォーミングアップは例年同様、2キロほどの軽いジョグと、最後に短いダッシュを2、3本入れて「体にスイッチを入れる」のみで終了。
【ペース設定】
今回の目標は2時間49分を切ることだった。単純計算でキロ4分で刻めばよく、昨年の防府の自己記録からキロ当たり1秒速いだけでOKなのだが、そう簡単には行かないのがマラソンである。昨年の防府の終盤、強い西風と戦った修羅場を思い出す。たった1秒とはいえ、あれよりも「速く」走らねばならないのだ。
昨年の防府の実績から、終盤35キロ以降はキロ4分10秒程度まで落ちることが十分に予想される。そうすると、35キロ地点でキロ4分ペース比72秒の貯金が必要であり、そのためには、そこまでを平均キロ3分58秒で刻めばよい計算になるが、当日の強い西風を考えて、10キロ過ぎから中間点付近までの東向きの区間でできるだけ貯金を稼いでおく作戦を取った。これまでの自分なら自重するところだが、今回は自然なペースアップは容認しようというわけだ。しかし、あまり欲張ると前半で脚を使ってしまい、終盤では4分10秒が維持できなくなることは明らかである。心肺機能の主観的な「しんどさ」だけを尺度に、細心のコントロールが求められることになる。
【レース展開】
スタート時の天候は晴れ、気温13.3度、湿度47%、西北西の風6.5メートル。風さえなければ文句ないのだが。スタートを待っていると、九州在住の知り合いのランナーYHさんが偶然コース脇にいて、声をかけていただいた。12時10分スタート。ナンバーカード順、すなわち持ちタイム順に並んでいるので、さすがにスムーズな出足で、タイムロスもほんの数秒である。1キロ通過が4分02秒。ロスを除けばほぼ設定どおりだ。2キロ、3分57秒。よし。しかし、周囲がだんだん寂しくなってきて、ふと後ろを振り返ると、何と誰もいない。おいおい、キロ4分で最後尾か。全く何て大会なんだ。スタート直後での最後尾ランナーは既に何年か前の豊橋で経験済みだから、そう慌てる必要はなかったが、さすがに若干ペースアップして3キロが3分50秒。公園を出て一般道路に出るなり早速強い西風が吹き始めたが、ここではそれほど苦にならなかった。体重を絞った効果だろう。5キロのスプリットが19分48秒。貯金12秒。最初の関門の10キロを39分42秒で通過。貯金18秒。ほぼ作戦どおりだ。
その直後左折してから追い風に変わる。ここから自然にペースアップして、最速ラップは3分46秒を刻んだ。最大でキロ10秒ほど追い風に助けられた計算になるだろうか。貯金も徐々に増えて、15キロで47秒、20キロで67秒まで達した。このあたりは街路の並木が美しく、繁華街に近いこともあって沿道の応援も一段と多い。レース中、一番気分良く走ることができた区間である。
中間点を過ぎて左折してから再び風の影響を受け始める。JR博多駅前を通り過ぎてからの例の箇所ではやはり相当強い向かい風になり、25キロでの貯金は64秒と若干取り崩した。福岡サンパレス前を右折して走路が北東方向に変わってからは風の影響が比較的少なくなった。27キロ過ぎに折り返してきた先頭集団とすれ違う。尾方、大崎、コリルの3選手だ。第2集団は遥か後方で、優勝はこの3人に絞られた感じだ。30キロ地点で貯金は再び67秒。頭に日の丸の鉢巻をしたTKさんとすれ違う。折り返し手前では先行していたHIさんを追い越した。みんなガンバレ。ここからがマラソンだ。恒例の第9交響曲の一節がまた頭の中で鳴り響く。
走れ、兄弟たちよ、汝らの道を!
英雄が勝利を目指すが如くに喜ばしく!
しかし、折り返してからは再び風が強くなり、脚はまだ動くのに次第にペースが落ちてモチベーションの維持が難しくなる。35キロ地点の貯金は57秒まで減った。48分台は少し厳しくなったが、自己記録更新はまだ十分可能だ。それだけを励みに終盤に臨んだが、周囲では大幅にペースダウンする者、ついに歩き始める者、棄権して救護車に乗り込む者も増えてきた。負けるもんか。今、まさにこの時のために、半年以上かかって営々と積み上げてきたのではないか。しかし、そんな思いも37キロ過ぎからの一段と猛烈な風で吹き飛ばされそうになる。口は大きく開き、眼は般若のように吊り上り、物凄い形相になっているのが自分でも分かる。以後、4分10秒台後半を連発。一体どこまで落ちれば自己記録に並んでしまうのか、もはや計算すらできなくなってしまったが、とにかく最後まで諦めないで粘り通すしかない。再び都心に戻り、沿道の応援も多くなってきた。
左折して福岡城址のお濠が見えてくる。41キロ地点で自己記録は何とか更新できそうなことが分かった。最後の気力を振り絞って平和台への坂道を駆け上がり、最終関門のマラソンゲートをくぐる。陸上競技場の赤いトラックが眼に飛び込んでくる。ここからスタートできなかったBグループのランナーであっても、ここまで関門を突破して来た者には許される夢の舞台である。後で知ったのだが、ここまで41.6キロを走って来ながらこの関門で止められたランナーが、私の知り合いを含めて5人いた。その無念、察するに余りある。
トラックに入り半周したところで、既にフィニッシュしていたTKさんから「自己新、いけます!」の声援がかかる。最後の直線に入ったとき、時計はちょうど2時間49分を刻んだが、すぐ目の前にあるかに見えたフィニッシュラインまで実に24秒もかかった。自己記録を更新すること僅か14秒。「半年やってきて、たったの14秒か」と最初はやや自嘲気味になったが、後になって収容バスから降りてくる大勢のランナーを見て、「今日の条件を考えれば、それ以上の価値はあるのではないか」と素直に思えるようになった。来年は必ず49分を切ってやる。そう誓って競技場を後にした。
【記録】(公式計時)
SPLIT LAP
00-05k 0:19:48 19:48
05-10k 0:39:42 19:54
10-15k 0:59:13 19:31
15-20k 1:18:53 19:40
HALF 1:23:18
20-25k 1:38:56 20:03
25-30k 1:58:52 19:56
30-35k 2:19:02 20:10
35-40k 2:39:56 20:54
40-FIN 2:49:24 09:28
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順位 296位(完走343人中)
【おまけ】
福岡国際は実利面でも大変素晴らしい大会である。まず、前日は西鉄グランドホテルのレセプションに2名まで(選手本人とコーチ)参加でき、自由に飲食できる。私自身は長時間のコース下見で疲れたので、一旦宿泊先のホテルに戻って休み、7時頃に出直したが、もう料理は何も残っていなかった(泣)。それから、参加賞が大変充実していて、まずは定番のTシャツ。これがまた、よくある綿生地のものではなく、アシックス製の(何かよく分からないが)最新の高機能素材のもの。これだけで大会参加費の3千円ぐらいはするかもしれない。モニター的な意味合いがあるのだろう。それからミズノ製のウインドブレーカーに、ランニング手袋に、ネクタイピン。フィニッシュ後はAグループのランナーと同様、巨大な公式バスタオルを掛けてくれる。愚かにもLSDバッグ1つで身軽に福岡入りしたつもりの私は、バッグにとても入り切らないこれら賞品を宅配便で自宅に送る破目になったのだった。(笑)
【終わりに】
昨年に続き、基礎づくりから段階を追って練習を積み上げるようにしたこと、とりわけ2度の30キロ走を入れたことは、やはり効果的だったと思う。ただ、なぜ目標としていた49分切りができなかったのか。全て風のせいにしてよいのか。また、レース直前に会得した(多分)本当のLSDをうまく織り込んだ練習パターンや、30キロ以上のペース走練習の検討など、まだまだ課題はありそうである。しばらくは十分休養して疲れを抜き、年明けから再始動、3月の豊橋で今季を打ち上げたい。
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